「――――大丈夫か?」


書類を手にしたまま、ぼーっと手塚を見ていたを、手塚は心配そうに覗き込んだ。
その言葉に慌てて、は言葉を返す。


「あ、ああ。それより、これ……」


集めた書類を手塚に手渡そうとして、の手は止まった。
視線は、その書類に落ちている。


「どうかしたのか?」
「いや、ただ、この金額、ここをこうすればもうちょっと減らせるなぁ…って思っただけ」


そう言って、はそれを渡した。
手塚はすぐさまその書類に目を通す。


「……確かにそうだな。ありがとう」
「別に気にしなくていい。じゃ、俺はここ、」


で、という言葉は、がしっと掴まれた右腕により阻まれた。
はゆっくりと振り向く。
腕を掴んでいたのは案の定、手塚だった。


「…まだなにか?」
「先程の礼をしたいのだが」
「大した事、してないんだけど」
「いや、これは我が社の大事な予算案だったんだ。君が教えてくれなかったら、大損するところだった」


力説してくる手塚に、はこの書類はそんなに大事だったのか、と思う。


「ここの近くに、おいしい料亭があるんだが、どうだ?代金は勿論、こちらで持つ」
「あ、でも、俺は…………」
「遠慮はいらない」


手塚はの言葉も聞かずに、ずるずると引き摺るようにを連れて行く。
どうしてこうも俺の周りには強引で人の話を聞かない奴が多いんだ、と悪態をつきながら、は引っ張られていくのであった。
そうして、着いた先は高級な料亭。
のような一般人には手が届かないような、場違いな場所だ。


「二名で、座敷だ。それと、いつものを頼む」
「畏まりました」


手塚が慣れた感じでそう言うと、店員は二人を案内していく。
通された部屋は、囲炉裏などがおいてある風流な和室であった。
既に料理は用意されている。
どれも高級なものを使っているものだ。


「…すごいな」


見事に『和』であるこの部屋に、は感嘆の声を漏らす。
手塚はそんなを、じっと見ていた。


「…そういえば、君の名前をまだ聞いてなかったな。俺は手塚国光」



簡潔には言うと、いただきますと言い、料理に手をつける。
手塚も食べ出すが、は彼の探るような視線が気になっていた。
まさか、“ルナ”であることがばれたのか。
そんな憶測も浮かぶ。
思い切って、そのことを明かしてしまうか。
そんなことも浮かんだが、はそれを振り払い、別のことを聞こうと箸を止めた。


「……で、ここまで連れて来たのはもっと別の理由があるんだろう?手塚サン」
「礼だと俺は言ったはずだが」
「たかがそれ一つで、ここに連れて来ようとは思わない。仮にも、あのブルーコーポレーションの社長が」
「…気づいていたのか」
「あれだけ有名なんだから、気づくよ」


不敵な笑みを浮かべるを見、手塚も箸を止めた。
その笑みに何か引っかかりを覚えつつも、手塚は口を開く。


「……………似ていたんだ」
「誰に?」


分かっていて、はあえてそれを聞く。
答えを待つまでも無い。
彼が似ているというのは、あのときのパーティの……“ルナ”だからだ。


「とあるパーティで出会った、人に」


そろそろ、ばらし時か、とは思う。
この人は鋭い。
眼鏡の奥からの視線は、話の途中でもから逸らされていない。
は、隠し通せる人と、隠し通せない人の見分けぐらいつく。
それに、これは隠しておいても隠して無くても別にいいことだ。
真っ当な理由もある。
だからは、あのとき見せた笑顔で、言った。


「跡部財閥のパーティで、見た女性のことか?それは。あの、ルナという」
「………なぜ、知っている」


案の定、手塚は眉を顰めてを見ている。
その反応は正しい。
なぜなら手塚は、あるパーティと出会った人しか言っていない。
本来なら、は分かるはずが無いのだ。
場所も、その人の性別も………名前も。


「答えは単純明快。今、あなたの思っている通り」
「なら、君は………………」
「ルナだ。あのとき限りの、存在だけれども」


ふわりと笑って言う
手塚はまだ驚いたような顔をしていたが、状況をすぐに理解したのだろう。
先程までの冷静な顔に戻った。


「何が目的で、あんなことをしていたんだ?」
「跡部財閥総帥のボディガードという仕事」
「それが本当の仕事じゃないだろう………職業は?」


探究心旺盛な手塚に、は苦笑しつつ話す。
だが、それは既にもう敬語は使われていない。


「何でも屋、『Shine Night』。俺、それをやってる」
「………何でも屋?」
「そ。奪還の依頼や身辺警護。法律に触れない程度にやってる」


はそう言って、置時計に目をやった。
約束した時間が、近い。
そろそろかな、と見切りをつけては立ち上がった。


「ここまで話したんだ。俺はこれで、失礼させてもらうよ?社長サン」
「待ってくれ!」


靴を履き、部屋から出ようとしたを手塚が呼び止める。
はなんだと思いつつも、立ち止まった。
そうして、手渡されたのは名刺。
だがはそれを受け取ろうとはしなかった。


「……勧誘ならお断り。俺は、一箇所に留まるのは好きじゃない」
「別に勧誘をしたいわけじゃない。確かにが働いてくれれば、うちは大助かりだ。けど、にそんな気はないんだろう?」
「そうだけど」
「なら、これはそういう意味じゃない。“社長”として渡すわけじゃない。俺個人として渡すんだ。これに連絡先が書いてある。……また、の話が聞きたいんだ」


手塚にとって、短い間のこの話は嫌いじゃなかった。
ぽんぽんと話が弾む。
自分が思っても見ない行動を、手塚は起こしていた。
否、心のどこかで思っていたのだろう。
は笑って、名刺を受け取った。


「了解。“国光”個人の名刺として受け取っとく」


そして、最後に一言。
はこう言い残した。



「知ってたか?期限付きなら、こういう仕事、俺はやってるんだ」



その言葉の意図に手塚が気づいたときは、既には帰った後であった。
そうして、遅れて自分が珍しく、人を名前で呼んだことに気づく。
それを教えてくれたのは、の『国光』という言葉であった。