喫茶店『ICE』。
普段、静かな喫茶店はやけに賑わっていた。
その理由は、三日前に入ったアルバイト店員にある。
「おチビー、チョコパフェ追加ねー!」
「あ、俺はコーヒーもう一杯♪」
「………」
「ほら、返事返事」
ぶすっとした顔のリョーマを、鳳が突く。
それに促され、リョーマは不本意、と言った感じで口を開いた。
「…畏まりました」
「んん?聞こえないよー?」
にやにやとしながら千石は、リョーマを覗き込む。
これは明らかに、リョーマで遊んでいる。
「……後で覚えときなよ」
誰も聞こえないようにリョーマはぼそりと呟いた。
そんなリョーマの思い(願いともいうかもしれない)からか。
玉葉はふわりと出てきていた。
リョーマの言葉一つで、玉葉は千石と菊丸にすぐさま攻撃するだろう。
だが、リョーマはそれをしなかった。
玉葉を素早く戻し、なにもなかったかのようにする。
と会って、多少角が丸くなったということか。
「店で『星』を出すんじゃねぇ!」
しかし、宍戸の目は誤魔化せなかったらしい。
すぐさま宍戸の鉄拳が、リョーマの頭に下った。
「いっ!!」
ぐらぐらと頭が揺れている気がした。
今まで様々なところで受けてきた攻撃よりも痛いと思うのは気のせいだろうか。
「お前、俺たちが仕方なく雇ってやってること、忘れんなよ?」
宍戸はわざとリョーマに攻撃したその場所に手を置いて、リョーマの頭を揺らす。
攻撃を受けた場所が、じんじんと痛みを伝えていた。
「宍戸さん、それくらいにしといてやってくださいよ」
「あ?こういう生意気なのはこれくらいがちょうどいいんだよ」
な?とにやりとした笑みを浮かべながら、宍戸はリョーマに同意を求めた。
勿論、リョーマが頷くはずも無い。
「そーいえば、おチビはなんでここで働いてんの?『Shine Night』はどうしたのさ」
「圧力、掛けられたんだとよ。先の依頼の跡部財閥が原因らしいが…」
そこで言葉を濁す宍戸に、千石はカウンターから身体を乗り出して聞こうとする。
その瞳は、好奇心で輝いていた。
「失敗、したの?」
千石の思っていることを代弁するかのように菊丸が宍戸に問う。
だがそれに答えたのは、鳳だった。
「いえ、違いますよ。成功は成功、大成功だったらしいんですけど……」
途中で言葉を止め、鳳はちらりとリョーマを窺った。
リョーマはあの時のことを思い出したのだろう。
顔が思いっきり顰められていた。
「あのサル山の大将…っ!を気に入って、一週間閉じ込めてたんだよ!!」
なにやら少し語弊がある気もするが……大方、意味は同じである。
「あー…、一箇所に縛られるの嫌いだもんね〜。無理も無いか」
千石が納得したように頷く。
事情を知る、鳳も宍戸も同じく頷いた。
過去に何かがあったのか知らないが、は確かに一箇所に留まることを嫌う。
それはと親しいものならば、誰でも知っていることだ。
だが、その理由は誰も知らない。
誰も、聞かない。
それが、ルールだからだ。
「でさー。、どこなわけ?おチビがここで働いてるって聞いたけど、見当たんないし」
「そうそう。俺たちが求めているのはであって、残念ながらリョーマくんじゃないんだよねー」
はどこだ、と聞いてくる二人に、リョーマは無視という形でそれに答えた。
そう簡単に、リョーマがの居場所を口にするわけが無い。
「君、20番テーブルのオーダーをお願いします。裕太君は配達を」
「了解」
「分かりました、観月さん!」
レストラン『ルドルフ』は夕食時を迎えて、繁盛していた。
その中にはの姿もある。
日給が中々良いここは、が前から目をつけていたところだ。
実質、経営者である観月は従業員に対して注文が少し多いが、給料のことを考えれば苦にならない。
なにしろ今は、金が必要なのだから。
全ての原因はあの跡部財閥のトップ二人だ。
あの依頼以降、専属になれと言い寄ってくる二人を回避し、振り込んできた金で生活してきたのはいいが、ちょうど金が底をつくというところで、それを狙っていたかのように依頼がこなくなった。
たち『Shine Night』は、大体の依頼が中小企業から来ている。
その企業に、跡部財閥は圧力を掛けたのであった。
あの、市場を二分する跡部財閥に圧力を掛けられたのでは企業は太刀打ちできない。
おかげでたちは生活費を稼ぐ為にこのようにして働く羽目になった。
リョーマと分かれている理由は、主にあの二人――この場合、千石と菊丸を差すのだろう――にある。
あの二人がいると何らかのトラブルが起こる。
はそう確信していた。
そうしてはキリキリと働いている。
「淳ー、20番テーブル、豆腐ハンバーグセット2つな。あと、お子様ランチ一つ」
「了解」
「了解だーね」
「柳沢には言ってない」
木更津の声の後に返事をした柳沢に、は苦笑しながら言う。
そして横目でドリンクサービスのコップが残り少ないことに気づき、補充しに行った。
アルバイトで雇われたというのに、この働きぶり。
値踏みするように見ていた観月は、戻ってきたに声をかけた。
「君。今日はもういいですよ」
今日の分の給料を手渡しながら、観月は言う。
だが、店はこれからが忙しいはずだ。
それなのに、これで終われと観月は言っている。
「これからが忙しいんだろう?」
「君は、十分働きましたよ。それこそ、軽く三人分は」
給料もおまけしておきましたよ、と観月は言った。
確かに渡された茶封筒は、分厚い。
たかがアルバイトにしては大金である。
「もしよれしければ、うちで正式に働きませんか?」
「あ、悪い。無理なんだ」
観月の勧誘の言葉に、はすぐさま首を振った。
安定した収入を得られるのは非常に良いのだろう。
としても、魅力的だ。
しかし、はそれはできない。
「…そうですか。残念ですね。でも、しばらくは働いてくれるんでしょう?」
「そうなるな。じゃ、また明日」
ぺこりと行儀よく頭を下げたに、観月は微笑んだ。
観月がを気に入った理由。
それはもちろん、手際の良さや作業効率の良さにある。
だが観月は、のこの礼儀正しさに対しても好印象を抱いている。
ビジネスマナーを心得ている彼は、観月などの経営者が求めている人材だ。
「ええ、また」
店の奥へと消えていくを見送りながら、観月はそう呟いた。
ここだけが夜にならないと人々が口にする、歓楽街。
は珍しく、そこにいた。
とはいうのも、リョーマと約束した時間が8時で、まだ時間があるということからなのだが。
とにかくは、特に何をするわけでもなく歩いていたのだった。
興味もなく、ショーウィンドウを除き、行き交う人々を見る。
リョーマを拾うまで、はこうしていた。
特に、眠れない夜は。
そうしては、千石や菊丸にも会ったのだし、他にもたくさんの人と出逢った。
にとって、ここはある意味特別なのだ。
「ここだけは変わんないもんなぁ……」
店が変わらない、という意味合いではない。
店など、すぐに変わる。
が言っているのは、その雰囲気だ。
なにもかもを受け止める、その雰囲気。
少しばかり治安は悪いが、ここはすっかり変わっていなかった。
が、ここに来た時から。
「やっぱりここは……ッ!?」
不意に。
余所見をしていたせいだろう。
誰かにぶつかった。
同時に散らばる、書類の束。
ここでは珍しいものだ。
は自分の失態に気づき、すぐさまその書類を拾い集める。
「悪い、余所見をしてた………」
「いや、構わない。こちらも、悪かった」
書類しか見ていないには、声しか聞こえない。
だがはその声に、聞き覚えがあった。
そうして、顔を上げて絶句する。
なぜなら目の前の人物は。
が跡部財閥のパーティで“ルナ”として、踊った人物だったからだ。
彼の名前は――――手塚国光。
跡部財閥のライバル会社、ブルーカンパニーの社長である。