リョーマたちと別れて、すぐ。
と跡部は凄まじい勢いで階段を駆け上がっていた。
その二人の背後からは、階段に敷いてあった絨毯がうねっており、二人を今にも呑み込もうとしている。
それを二人は持ち前の運動神経の良さで回避していたが、しばらくしてからが顔を歪めた。
着慣れない服装と、高いヒールのせいなのか、の足からは血が滴っていた。
足を動かすたびに、ズキズキとそこは痛みを伝えてくる。
を使えば多少は楽になるのだろうが、生憎そんな暇はなかった。
けれども幸いなことに、跡部には気づかれていない。
いや、気づかせてはならないのだ。
狙われているのはでなく、跡部だ。
そんな状況の中、の様子に跡部が気づいたらどうなるのか。
恐らく跡部は、一時立ち止まるだろう。
そして背後の絨毯に呑みこまれ、押し潰されるのがオチだ。
だからはなるべく平静を装い、今まで通りに行動していた。
―――だが、それが仇になったのか。
「ッ!!」
ぐき、と右足首を捻ってしまった。
それも、足の傷と二乗となった痛みのおかげで、我慢していた声を漏らしてしまう。
その声が跡部に届いていないことを祈ったのだが………その期待は裏切られたようだ。
ちらりと跡部は走りながら、横目でを見る。
その視線はけがを負っている足元に注がれていた。
跡部は立ち止まることなくの状態を冷静に見ると、一回舌打ちをする。
そして、素早くを抱き上げた。
「降ろせバカ!!」
「バカはお前だ。そんな状態で何言ってんだよ。おとなしくしてろ」
その言葉を聞いて、は言葉を詰まらせた。
確かに、今の自分は跡部にとってお荷物である。
悔しいが、今は跡部に従うしかなかった。
「……俺は重いぞ!」
「どこがだよ。軽いじゃねーか」
軽口を叩き合いながら、二人は屋上へと向かっていく。
その間にも背後からは絨毯が追って来ているのだが、を抱えたままでも跡部の走る速さは衰えることなく、寧ろどんどん速くなっていった。
だが、敵は跡部とが屋上に来ることを見越していたのだろう。
屋上へと続くドアの目の前には、見事な壁が出来ていた。
「土の、壁…」
それが示すのは、向こうへいるであろう敵が土属性の『星』を持つものだということだ。
しかし、それよりもこの壁をどうにかすることを考えねばならなかった。
考える時間など、後ろの絨毯のことを考えてみても、非常に少ない。
がを呼び出しても良かったが、生憎、発動する時間は同じく無い。
「どうするんだ!?」
「こうするしかねーだろッ!」
跡部は目の前の壁を見据えると、相変わらずを抱えたまま足を振り上げて―――
ドゴォッ!!
壁を破壊した。
それはもう、ものの見事に。
(…景吾って、意外と力あったんだな…。俺を軽いなんて言うし、たった一撃で壁は壊すし……)
半ば呆然とその様子を見ていたは、意外そうに跡部を見上げた。
だが当の本人はその視線に気づくことなく、壁を壊したときと同じ要領で今度はドアを蹴破る。
夜のひんやりとした風が、こちらへ流れ込んできた。
心地よい風に、は跡部の腕から飛び降りる。
「おい…」
「大丈夫。今日は満月だ」
月に背を向けて、は笑う。
その足からは既に、血は流れていない。
『月の涙』と同化してから、の傷は月の満ち欠けによって治る速さが異なるようになってしまった。
月光を浴びた時でも、同じである。
既にと月は、切っても切れないような関係だった。
跡部もの様子が分かったのだろう。
あえて、なにも言わなかった。
「変だな…」
「ああ。敵の気配がしない」
屋上に来たのはいいが、敵の気配がまったく無い。
つまり、どこからでも襲撃されておかしくない状況なのだ。
「……っ!景吾、伏せろ!!」
「あ?」
そんな中、が一つの気配を察した。
急いで跡部に伏せるように言うが、遅い。
は駆け出すと、跡部にタックルをした。
当然、跡部は床に倒れる。
「なにしやが…!?」
抗議の言葉を口にしようとした瞬間、ザクリと跡部の隣を鋭利なものが突き刺さった。
間一髪で逸れたそれは、尖ったコンクリートの破片。
飛んできた先を見ようと見上げるが、人影を確認する前に次々と破片が飛んでくる。
「、“風壁”!」
はを呼び出し、跡部を風で覆った。
同時に、跡部をそこに固定する。
更に風は、跡部へと飛んでくる破片を蹴散らしていた。
そしてそれを確認するとは、破片が飛んでくる方向へ走り出した。
「そこで、おとなしくしてろ」
「何言ってやがる。俺も戦うぜ」
「足手纏いだ!今、狙われてるのは自分なんだぞ!!」
の言葉通り、先程から跡部にはコンクリートの破片だけでは飽き足らず、地に属するものが次々と飛んできている。
“風壁”が跡部を守っているので、けがはしないが、だんだんと飛んできているものの危険度が増えていた。
後ろでまだ何かを言っている跡部をまったく気にせず、は物陰へと視線を向けた。
「いるんだろ?“Dark Green”の片割れサン」
「…………」
の問いかけに答え、そいつは姿を現した。
どこか、目つきの悪い少年。
年はと同じくらいだろう。
頭に、バンダナを巻いている。
「名前ぐらい名乗ったらどうだ?こっちは、」
「…海堂薫だ。そこを、どけ。用があるのは、跡部財閥総帥だけだ」
海堂は、ギロリとを睨みながら言った。
その横では、土属性であることを示す褐色の『星』がある。
「それは無理かな。総帥は俺の雇い主なんでね」
「なら、力づくでいくまでだ!!」
その瞬間、の下のコンクリートが鋭く変化する。
それをはひらりとかわした。
だが、その着地地点でもコンクリートは変化する。
(持久戦に持ち込むつもりか…!)
器用にそれを全て避けつつ、は対抗手段を練っていた。
このまま戦いが長びくと、圧倒的にの方が不利だ。
けがが大体治っているとは言え、さっきから走り回っているせいで捻ったところがだんだんと痛みを訴えて来ている。
どうやら、捻ったところはそう簡単に治ってはくれないらしい。
「金撰、“轟”」
「っ!、“飛翔”!!」
コンクリートの地面が唸りを上げて、を襲ってくる。
はそれを、風で自らの身体を浮かすことで回避した。
「“風斬”!」
続けて、風の刃で海堂を攻撃する。
だがそれは、海堂が作り出した土の壁に塞がれた。
それにひるむことなく、はで攻撃を仕掛ける。
それこそが、風属性であることを教えるように。
しかし、それにも限界が来る。
いくら満月でとの力が増幅されているといっても、跡部に“風壁”を使ったままでいろんな技を使用したのなら、それだけで力が尽きるのは早くなる。
普通の『星』を扱う人であったら、既にばてているころだ。
実際、がそのまま攻撃できること事態珍しい。
「これで、止めだ」
海堂が、ドリル状になったコンクリートをへと向けた。
(しまった!!)
勢い良く、飛んでくるそれ。
回避する時間も、を発動する時間も、ない。
―――間に合わない。
「紫苑、“氷城”」
だがその時、静かな声が響いた。
同時に、の周りを氷が壁のように覆う。
それこそ、堅固な城のように。
そして、氷属性の『星』を持つ者はこの場に一人しかいない。
は思わず、後ろを振り返った。
「なに一人で突っ走ってんだよ、バカか?」
そこにいたのは、“風壁”で守られているはずの、跡部景吾。
しかしその周りには、“風壁”はない。
自力で破ったのだろう。
代わりに、紫苑がいた。
「景吾…、どうしてだ?」
「バーカ。どうしたもこうもないだろ。力があるからやる、それだけだ。それに…庇われてばっかりだと俺のプライドが許さねーんだよ」
跡部のその言葉に、は今の状況も忘れてくすりと笑った。
“風壁”は使う必要が無くなったので、力は大方戻ってきている。
さらに、氷属性の紫苑がいることはかなり有力だ。
「分かった。景吾、ちょっと耳貸せ」
「あーん?いい案でもあるのかよ」
「いいから早く。海堂もおとなしくしてはくれないぞ」
は跡部の耳に、つい先程考えた案を教える。
それを聞いて、跡部はにやりと笑った。
「なかなかいいな」
「だろ?なら、行動開始だッ!」
そう言うや否や、は“氷城”を蹴って壊した。
渾身の力を込めた蹴りであったため、それは勢い良く割れる。
そして、できた穴からまず跡部が飛び出した。
「!!」
ターゲットの姿を見て、海堂はそちらに意識が向く。
当然、攻撃も跡部のみになってくる。
だが、の存在を忘れてはいけない。
「どこ見てるんだ?」
「ちっ!」
から繰り出される、蹴りの嵐。
海堂は金撰を使う暇もなく、それを避ける。
そして、二人の距離がある程度離れた時、は待機させていたを呼んだ。
「、“水乱”!」
水が海堂の周りに突如現れ、海堂を濡らしていく。
しかし、その“水乱”は海堂を濡らすしか意味を成さなかった。
「はずれだな」
「―――はっ、俺を忘れるんじゃねーよ」
跡部の声が聞こえ、海堂が振り返ろうとしたその瞬間、それは起こった。
の“水乱”が濡らした場所から、どんどん凍っていっている。
氷はどんどん広がっていき、遂には海堂まで及んだ。
「安心しろ。殺しはしない。てめーには、いろいろと聞くことがあるからな」
薄いながらも、頑丈な氷に自由を奪われた海堂は、唯一凍るのを免れた首から上を動かし、跡部を睨む。
実際、海堂にはここから逃れる術はない。
金撰を使おうにも、手が地に触れていないと使えない。
このままだと、海堂は捕虜になる可能性があった。
(くそ…っ、油断した……)
だが、まだ海堂に希望は残されている。
“Dark Green”は二人一組のペアなのだ。
パートナーが助けに来ることは十分、ありえる。
そして現在のと跡部には、そのことがすっかり抜け落ちていた。
「煉銘、“電気分解”だ」
そこへ、乾の静かな声が響く。
同時に、辺りに霧が生まれた。
瞬時には、何が起こったのかを察する。
そもそも、カードに染み込んでいた『星』の気は二つ。
一つは、先程まで戦っていた相手、海堂薫が操る金撰。
属性は、地。
もう一つは、無属性の『星』を操り、氷を水素と酸素に分けた人物……たちは知らないが、乾貞治操る煉銘だ。
恐らく、“電気分解”により、海堂の氷は既に跡形もなくなっているだろう。
やがて、水素と酸素によってできた霧が引いた。
そこにいるのは、二人揃った“Dark Green”の姿。
「ハジメマシテ、かな?跡部総帥に、君」
「…うちのパートナーと侑士はどうした?」
「彼らなら、もうそろそろ着くんじゃないかな。それにしても、ずいぶんと海堂が世話になったね」
逆光した眼鏡を押し上げながら、乾は不敵に笑う。
傍らには、すぐにでもと跡部に飛び掛りそうな海堂がこちらを睨んでいた。
「それにしても今回は面白いデータが採れたよ。君たちに感謝しないとね」
「「勝手に感謝するな」」
「おやおや。心配しなくても跡部の命は狙わないよ。目的の物はどうやらないみたいだからね」
その言葉には微かに反応し、跡部は何だと言いたげに乾を見る。
さらに乾は、二人を煽るような言葉を言う。
「それと、俺から跡部財閥にアドバイスだ。“外”の敵より、“内”の敵を心配したらどうだい?」
「…なんだと?」
「言葉通りの意味だよ。それじゃ、今回はこの辺で引こうか。行こう、海堂」
「…フシュー」
乾の指示に、まず海堂が飛び降り。
そして今度は乾が飛び降りようと、足を踏み出した。
が、それを途中でやめ、の方を振り返る。
「それにしても…君は非常に興味深いね」
「そりゃどーも」
不機嫌そうなの返答に、乾は苦笑し、海堂と同じように飛び降りる。
下を覗き込んでみたが、二人の姿は見えない。
どうやら完璧に逃げたようだった。
後は、各々のパートナーの到着を待つだけだ。
気が抜けたと跡部はそれぞれ座り込み。
は満月を見上げた。
―――満月は、変わらず輝いている。
だが、を取り巻く周囲の人々の運命は、確実に、そしてゆっくりと動いていた………。