夏休みというものはあっという間だと学生のときも思っていたが、教師になってからもそうだった。
学生じゃないから課題とかに追われなくてもいいんだが、代わりに教師の仕事や部活に関すること、侑士の世話に追われた。
その上、途中でテニス部レギュラーが乗り込んできたら大変だった。
課題を出した教師の家で、その課題をするなと言いたい。
向日や芥川なんかは、平気で俺に答えとか聞いてくる。
教師の立場って言うものを考えてくれ。
そう思いつつ、やり方だけは教えてあげた。
そんなこんなで、夏休み最終日、8月31日。
俺が明日の準備をしていたら、侑士が部屋をノックして入ってきた。
「さん。夕方、暇?」
入ってきて、開口一番がその言葉。
俺の様子を窺うように、侑士は見てくる。
そういえば今日の夕方、夏祭りがあった気がするな。
俺が小さい頃からやってたから随分、古いものだ。
もしかして侑士は、その夏祭りに行きたいのか?
「暇だが、どうした?夏祭りにでも行くのか?別に行ってきても構わないけど」
「夏祭りがあるのは知っとるで。俺が言いたいのは、さんも一緒に行かんかっちゅうことや」
夏の思い出に行こうや?
と、侑士は言った。
思い出、か……。
確かに中学生最後の夏だし、そういうのは作っておくべきだよな。
「俺でいいのか?向日とか、芥川と一緒に行くとか……」
「俺は、さんと行きたいんや。それともさんは、俺と行きたくないんか?」
俯き、ちょっと弱弱しい声を出す侑士は、捨てられた子犬のように俺の瞳には映った。
これでもう、答えは決まったは同然。
まあ、中学最後の思い出だし、付き合ってやるか。
「…仕方ないな。一緒に行ってやるよ」
「ホンマに!?おおきに!」
パッと顔を上げて、嬉しそうな顔を見せてくる侑士。
俺も知らずのうちに、笑みを浮かべていた。
だから俺は気づかなかった。
侑士が、俺の言葉を聞いた瞬間に、にやりと笑ったことを――――
侑士は、夏祭りに行く直前、俺に浴衣を着てくれと頼んできた。
なんで俺のサイズの浴衣を持ってるのか知りたかったが、色々面倒そうだったから断った。
少し残念そうな侑士には申し訳ないが、着せ替え人形になるつもりは無い。
結局、俺たちは私服で人で溢れかえった神社にいる。
まだ夏祭りは始まったばかりなのにこの人数。
打ち上げ花火が始まる頃にはどうなるんだろうと俺は思ってしまった。
「さん、はぐれんようにな?」
「……俺は子供じゃないんだが」
心配してくれるのは嬉しいけどな………。
二十代前半の男に、ましてや教師に言う言葉じゃないぞ、それは。
「それに俺はそんなにマヌケじゃな………ッ!?」
そう言おうとしたら、人にぶつかってしまった。
よろめく俺を、侑士が手を繋ぐことで防いでくれる。
さっきの言葉………撤回しないといけないな。
「言うた傍からこの調子やし。ほら、手、繋ご?」
「………だから俺は子供じゃないんだが」
「せやけど、さっき人にぶつかってしもうたやん。今度は絶対、はぐれるで」
う、それを言われると痛いな………。
反論も出来なくて、侑士と半ば俺は強引に手を繋いだ。
手、繋いだの、何年ぶりだろう…………。
「誰と、繋いだん?」
「あ?」
「手、繋いだの、何年ぶりかなんやろ?聞こえとるで」
どうやら思っていたことを、口に出していたらしい。
見上げる侑士の顔は、少し怖かった。
「景吾とだな。景吾が、小学校低学年の頃の話だけど」
景吾が、人の波に呑まれそうになって、俺は手を差し出した。
今でも握った小さな手を覚えてる。
思えば、今と反対の状況だった。
言うのは気が進まなかったけれども、侑士はこのまま終わらせてくれるわけがないと俺は分かっていた。
何しろ、後が怖いからな。
すると、侑士の顔が顰められた。
やっぱり、景吾の話はまずかったか…………。
「……って」
「?」
「俺とおるんやから、跡部のことは考えんとってな」
侑士はそう言って、俺の手をぎゅっと強く握った。
離さないように。
俺が、どこかに行かないようにするかのように。
そしてその顔は、とても切なそうだった。
「…………悪い」
悪いことをしたと思った。
侑士といるのに、景吾のことを考えるなんて………確かに悪かったな。
「気にせんでええって。もう、何年前かの話やろ。久しぶりに繋いだんが俺やし、もうええよ」
俺が謝ると、もう侑士はいつもの顔に戻っていた。
そう言って、俺の手を引いて出店を見て回る。
侑士と射的をしたり、りんご飴を食べたり。
とても楽しかった。
けど…………疲れた。
久しぶりに、子どもみたいにはしゃいだかもしれない。
隣にいた侑士の方が、大人だったと思う。
すると、侑士には俺の疲れた様子が分かったのだろう。
苦笑して、なんか飲みもん買ってくるわと言って俺をベンチに座らせて行ってしまった。
気を遣わせたみたいで、なんか悪い。
だけど、疲れてたからこの休憩は本当に助かった。
そして、聞こえた泣き声。
「…っ、く……ひっく……おかあ、さん……」
その声の主の女の子は、俺のすぐ近くにいた。
俺はほっとけなくて、その子の傍に寄る。
「おかあさんとはぐれちゃったのか?」
「……うん」
しゃがんで目を合わせて言うと、女の子は泣きながら頷いた。
持っていた飴をあげて話を聞いたところ、『こまいぬさん』のところにお母さんと行こうとして、人にぶつかってここまで流されてしまったらしい。
幸い、『こまいぬさん』はここから近い。
迷子のこの子を放っておけるはずがないから、俺は女の子をそこまで送り届けることにした。
「お兄さんが送ってあげるようか」
「ほんと!?ありがとう!」
泣き止んで、ぱあっと顔を輝かせた女の子に優しく微笑みながら俺はベンチから離れた。
そのとき、侑士に言われた言葉が甦る。
『ここで、待っとってな。俺が花火の特等席に案内したるから、そこから動いたらあかんよ?』
俺を心配するかのように、侑士はそう言った。
そのとき俺は、さっきと同じように返したんだが……。
俺は、この子を放っておけない。
すぐ戻るし………いいよな?
「お兄ちゃん、ありがとう!」
「本当にありがとうございます」
「今度は迷子にならないようにな」
「うん!」
狛犬のところで、女の子……美由ちゃんはお母さんと会えた。
本当に良かったと思う。
美由ちゃんはお母さんに連れられて、花火を見に行った。
俺は手を振ってくる美由ちゃんに手を振り返して、侑士がいるだろうベンチに向かう。
早くしないと、花火が始まってしまう。
俺は急いだんだが、その場所に侑士はいなかった。
ここにいないということは、花火の特等席に向かったんだろうか。
でも俺は、侑士の花火の特等席を知らない。
その代わり昔、自分が見つけた花火の特等席は知ってる。
「……行ってみるしかないか」
俺の特等席と侑士の特等席が一緒の可能性もある。
俺はそう信じて小さい頃に見つけた特等席に向かった。
神社のすぐそこの林のとある部分を抜ければ、拓けた場所に出る。
静かなそこに、俺は侑士がいると思った。
そうして、辿り着いた先。
一つの人影があった。
けれどもそれは………侑士じゃない。
この背格好は………………………。
「けい、ご」
そう、景吾だ。
この場所を知ってる、もう一人の人物。
なんで景吾がここにいるのか分からなかったが………どこか、いつもと様子が違った。
「」
まるで俺がここに来るのが分かっていたかのような素振りで、景吾は振り返って俺を見る。
そして、そこからゆっくりと口を開いた。
「……に、伝えたいことがある」
「…………」
なにも、言えなかった。
景吾の青の瞳が、今まで一番真剣な色をしていたから。
俺は、景吾の瞳を見つめるしか出来ない。
「初めて逢ったときからずっと思ってた。初めは気づかなかったが、そのうち気づいた。気づいた後は、諦めようとした。だけどな………が忍足と一緒に住むようになって、思い知った。
この気持ちは、諦められないと。諦めることができねぇってな」
そこまで言って、景吾は大きく深呼吸をした。
どこか、緊張してるなと思った。
そして同時に、俺は景吾の後ろに誰かいると感じていた。
正確には、景吾の背後近くの木に。
「俺は、が好きだ。愛してる。初めて逢った時から、ずっとな」
「さん、好きや。愛しとる。初めて逢った時からずっと、好きやった」
同時に聞こえた、二つの声。
そのうちの声は、景吾のもの。
もう一つは、侑士のもの。
木の後ろから出てきた侑士は、景吾の隣に静かに立った。
景吾は顔を少し顰めただけで、それになんとも言わない。
ただ、二人して俺をじっと見ていた。
俺は信じ難い事態に、呆然としていた。
ようやく打ち上げられた花火の音や歓声が、やけに遠く聞こえた。