「先ー生v」


廊下を歩いていたら、聞き慣れた声がした。
その声の主は、俺の教え子である忍足。
最近、やたらと俺に付きまとってくるようになった彼は、俺を見つけるとすぐに声をかけてくる。
だからあえてなにも答えずに、そのまま歩いた。
けれども相手は俺より上手だったようだ。


「なんや、つれないで〜」


忍足はいつの間にか俺の背後にいて、そのまま抱きついてきた。
まったく、男に抱きついて何が楽しいんだか…。


「忍足、もう部活の時間だぞ」
「気にせんでええよ。俺は十分、先生を堪能するんやから」


そういえば、顧問の榊先生は出張だっけ…。
でも榊先生がいなからって部活サボっていいわけないんじゃないか?
そんなことをふと思ってしまうが、俺が何を言っても忍足は離れてくれないだろう。
俺は忍足に抱きつかれたまま、溜息をついた。
すると、向こうからやって来る俺の従兄弟が目に入った。


「忍足、部活に出ないで何やってんだよ」


腕を組んで眉を顰めているのは俺の従兄弟、跡部景吾。
忍足の所属するテニス部の部長だ。
なおかつ、ここ氷帝学園中等部の人気ナンバーワン。
で、次点に忍足がいる。
だからなのだろうか、二人は同じテニス部なのに、少し仲が悪い。
俺が見る限り、必ずどちらかが眉を顰めている。


「見ての通りやで?あー…先生、ええ香りがするわ」
「ぅわっ!」


忍足はそう言っていきなり俺の首筋に顔を埋めてきた。
まったく…いい香りがするのコロンのせいだぞ……。
だから、景吾を挑発するようなことはやめてくれ……。
景吾がすっごく不機嫌そうなんだよ。


「…俺を本気で怒らせたいのか、忍足」
「別にそんなつもりはないで?俺はただ純粋に、先生といたいだけやからなー」


そんなこと力説されても困るぞ、忍足。
まあ、嫌われるよりかはいいと思うが。


「…ん?ケータイ、誰かの鳴ってるぞ」
「あー…俺のや」


忍足くんは残念そうに俺から離れると、ケータイを取り出した。


『侑士ーっ!!なにやってんだよ!?いつまで待たせる気だっ!』


通話ボタンを押した瞬間、遠くにいても聞こえた向日の声。
そうとう怒っているみたいだ。
自業自得ってやつか。


「岳人。俺は今、先生との時間をやな…」
『どーせ、侑士が先生に纏わりついてるだけだろーがっ!そんなことしないでさっさと戻って来いっ!』
「向日の言う通りだ。分かったなら、さっさと戻れ」
「それくらい、分かっとるって…」


打ちひしがれている忍足は、少し可哀想かもしれない。
この様子だと向日の尻に引かれてるんじゃないだろうか……。


「ほな、先生。残念やけど俺はもう行かんとあかんのや…。だけど俺の気持ちは変わらへんよ!」
「馬鹿言ってんじゃねーよ。さっさと行け」
「先生ー!好きやで〜!!」


忍足は俺から離れるとき、いつもこういうことを言う。
今日もそれは同じで、忍足はそれを言った後、去っていった。

冗談が好きなのか…?

そして、放課後の人気のない廊下に残ったのは俺と景吾。


「景吾、部活に行かなくていいのか?」
「メニュー表を取りに行ってたんだよ。…それより、


景吾はそう言った後、俺の手を掴んだ。
掴むのは別に構わないが、学校では「先生」って呼べって言ってるだろう?
それなのに何回言っても、景吾は一回も呼ばない。
景吾も生意気になったもんだ………。


「あのコロン、やっとつけてくれたんだな」
「せっかく景吾がくれたんだからな。有効活用しないと悪いだろ?」


俺がつけてるコロンは、景吾がくれたものだ。
どうやら叔父さんがこの前の取引で大量に貰ったらしい。
爽やかな香りのするこのコロンは、結構俺も気に入っていたりする。
そのことを景吾に言うと、景吾は年相応に嬉しそうに笑った。
俺はこの景吾の笑顔が一番好きだ。
景吾は家柄や小さいころから教え込まれた礼儀作法のせいか、年齢より大人っぽい。
表情もどこか落ち着いたところがあるからなのか、こんな風に笑うのは珍しい。
そういえば、忍足も結構大人っぽいな。
最近の中学生はどうなってるんだ?
背も俺より高い人が多いし…………食べ物がよくなったせいか?
そんなことを考えながら俺は、景吾の頭を撫でていた。


「いきなり、なんだよ」
「んー?景吾もまだ子供なんだなーって思ってな」
「今年で十五だぜ、子供扱いすんなよ」


その反応が子供なんだけどな…景吾は気づいてないみたいだ。
久しぶりに子供っぽい言動が聞けたかもしれない。


「俺から見たらまだ子供だな」
「あーん?だってこの制服着たら同い年に見えるんじゃねーか?この前、私服で歩いてて間違われたの俺は知ってんだぜ」


悪戯っぽく俺が言ったら、景吾が反撃してきた。
なんで景吾がそのこと知ってんだよ…。
誰も知り合いはいなかったはずだぞ。


「それじゃ、俺はそろそろ行くぜ。近々、そっちに行くから待っとけよ」
「はいはい」


…はぁ。
やっと一人だ…………。


「…仕事、しないとな……」


俺は、利用教師は俺のみという英語準備室へ向かって歩き出した。
仕事は山積みだし、毎日が疲れるしで教師は大変だと、教師歴二年で悟った俺だった。















































先生は俺が「好き」言うこと、冗談やと思ってるんやろな。
せやけど俺、本気なんやで?
いつになったら先生は気づいてくれるんやろか…。


「侑士、どうかしたのかよ?早く帰ろーぜ」
「…すまんなぁ、岳人。俺、忘れモンしたみたいや。先、帰っとって」
「そっかー。じゃーな!」


俺は岳人にそう言うた後、生徒昇降口へ走った。
部活中や制服に着替えるときに見えた、英語準備室の灯り。
あそこを使う英語教師はあの人しかおらへん。
いつも邪魔してくる跡部も、早々に帰ってしもうたららしい。



絶好の、チャンス。



これを逃したら、もうチャンスはないかもしれへん。
そう思うたから俺は、英語準備室へ急いだ。
走っとるせいもあるんか、鼓動が早い。
こないに緊張するの、テニスの試合以外やと初めてやと思う。
ドアの前で深呼吸して、俺はドアをゆっくりと開けた。
先生を追いかけとっても入ることの無かった、唯一の部屋。
それがここやった。
逸る気持ちを抑えて、一歩一歩足を踏み出す。
そして、ソファーでプリントを握ったまま眠る先生の姿が、目に入った。
窓は開いていて、初夏の香りと先生のコロンの香りを夕暮れの風が運んできて、俺の鼻をくすぐる。
初めて見た、先生の寝顔やった。
思わず、先生の髪に手を伸ばす。
少し色素の薄い髪は、柔らかかった。
耳にかかる髪を優しく払って、俺は静かに囁いた。



「Am I reflected in your eyes…?」
『あなたの瞳に、俺は映ってますか…?』




「Only you are reflected in my eyes…」
『俺の瞳にはあなたしか映っていないのに…』




俺の想いは、どうやったら届くんやろか……。





Please let me know someone.
『誰か、教えてや…』