雨の日。
俺が嫌いなもの。
雨が降ること事態が嫌いというわけじゃない。
俺は、“音”が嫌いなんだ。
あの、ノイズ音が――――
雨が、降ってる。
つまり、テニス部は休み。
だからって、これは無いんじゃないか……?
「ちゃんvv」
「はあ…。何か?」
今現在俺に後ろから抱き付いている、大きなオレンジ頭の犬。
練習が無いことをいいことに(あっても同じだけど)、俺にじゃれついてくる。
伴田先生…南…亜久津…助けてくれ。
「俺と遊んで〜」
「無理。俺は、今から図書当番だ」
「じゃあ俺も行く」
…やっぱりこいつは犬だ。
仕方がなく、千石を引きずりながら俺は図書室へ向かう。
どうせ、この時間帯は誰もいないし、今日は俺一人だから特にやることはない。
それにしても、廊下に誰もいなくて良かった…。
「あれ?誰もいないの?」
「先生は出張。当番は俺一人」
カウンターへ向かいながら、俺は千石の疑問に答えてやる。
千石は、カウンター前の席を陣取っていた。
「ふーん、そうなんだ…。ところで、雨、酷いねー」
酷いと言う割には、千石はどこか嬉しそうだ。
…テニスができないのに、なんで嬉しそうなんだろう……。
三年の始業式からの付き合いだが、さっぱり分からない。
「ね、ちゃんは雨、好き?」
雨がざあざあと降り続ける外を、窓越しに見ながら千石が問いかけてくる。
雨、か…。
「…嫌い。雨の音は、俺にとってノイズだから」
雨の音は、ノイズになって俺を惑わせる。
前は、こうじゃなかった。
一体、いつからこうなったんだっけ…。
「そっか…。俺は、雨好きだよ」
千石はそう言って、笑う。
綺麗に、静かに。
「だって、ちゃんと逢えたから」
「どういう意味だ?」
俺が聞き返すと、千石は俺の方を見た。
いつものふざけた表情の面影は、どこにも無い。
ただ千石は、優しい真剣な瞳をして俺を見つめていた。
雨のノイズとは違う、ノイズ音が俺の中で響く。
不快な感じはしなくて、むしろ暖かい。
それはノイズというよりは、メロディー…オルゴールのようなものに近いかもしれない。
「俺たちが会ったの、四月だよな?」
「ううん、違うよ。…やっぱり、覚えてないかあ」
まあ、無理も無いよね、と千石は苦笑する。
その表情が更に、ノイズ音を酷くして。
何か忘れていることを訴えかけるように、ノイズ音はやまない。
「ちゃんと初めて会ったのは、今日みたいな雨の日だよ。…そして、今からちょうど一年前の今日」
今日みたいな、雨の日。
一年前の、今日。
俺が雨音をノイズとして捉え始めたころ。
一人で立っていた俺が振り返って、目にしたオレンジの髪――――
「…もしかして、あのときの?」
「うん、そうだよ。やっと思い出してくれたんだね」
俺がこくりと頷くと、千石はカウンターをひらりと跳び越えてきた。
…カウンターを、跳び越えた?
そしてそのことに驚いていると、気がつけば千石は俺の目の前にいて。
「じゃあ、やっと言える」
「何を?」
問いかけると、千石は大きく深呼吸をした。
なんか千石、緊張してる…?
「好きです」
「へ?」
そんな状態だった千石から、言われたたった一言。
俺は冗談かと思って、千石をじっと見た。
千石は少し紅い顔をして、それでも俺から目を逸らさずに、返事を待っていた。
俺の、返事を。
「…冗談、じゃないよな……?」
「うん。俺は本気だよ」
今の俺の声は震えていたかもしれない。
それでも千石は、俺から目を逸らさない。
「を見たあのときから、ずっと好きでした」
普段の、お調子者で女の子にナンパしてばかりの千石とは、今は違っていた。
こんなやつの、こんな真剣な表情に女の子は惚れるのだろう。
俺は、そんなことを思っていた。
今なら、その女の子の心境が分かるかもしれない。
なぜなら、俺は今――――
すごく、紅い顔をしていると思うからだ。
恐らく、それも千石にはばれているだろう。
だって千石は、とても嬉しそうな顔をしてるから。
「…浮気、しないか?」
「うん」
「突然、いなくならないか?」
「うん」
「…うんって言ってばかりじゃ、信用できない」
千石から顔を背けて言うと、ぎゅっと正面から抱きしめられた。
そして、耳元で囁かれる。
「ずっと、傍にいるから―――」
その言葉にノイズはいつの間にか、鳴り止んでいて。
あの日から聞こえていたノイズの音の意味を初めて、知った気がした。
一年前の今日、俺は唯一の肉親を亡くしていて。
半ばやけになって学校で雨に打たれていたら、誰かに呼ばれたのだ。
「キミ、風邪引くよ」
と。
振り向いた俺の目に入った、オレンジの髪。
そのときの俺は、そんなに気にも留めなくて。
そんな俺に、オレンジの髪の彼は…千石は、手を差し伸べてくれた。
今思うと、ノイズはそのときから始まったのだ。
ただ、自分はそのノイズが何を意味するのかを知らなくて。
煩わしいものとばかり思っていた。
でも、そのノイズの正体は。
今、俺を抱きしめているその人だと知った。
雨の日のノイズは、忘れてしまっていたその日のことを示していたのだ。
「…せんご、」
く、と呼ぼうとした唇を、その人物に塞がれて。
「…清純って呼んでよ」
離された後、少し拗ねたみたいに言ってくる彼に俺は笑った。
「清純――――」
初めて呼んだ彼の名前は、今は心地よい雨のノイズに掻き消された。