四月某日、氷帝学園高等部入学式終了後。
忍足は真新しい高等部の制服に身を包み、中等部内のとある桜の木の下に座っていた。
汚れるのは構わないのか、転がってぼーっとしている。
そしてぽつりと呟いた。


「…今年も綺麗に咲きよるなぁ……」


頭上で咲き誇る桜の木を、忍足は懐かしげに、しかし悲しそうに見上げていた。
忍足の横には五冊のスケッチブック。
その中の表紙に大きく『春』と書かれたものを手に取った。
一ページ捲って現れる、頭上の桜の木と同じ絵。
次を捲っても、桜の絵や風景の絵ばかりだった。
彼らしい絵に、思わず笑みがこぼれる。


「確か、と逢ったんもここやったな…………」


忍足はそう言いながら、スケッチブックの持ち主―――との出会いを思い出していた。


















200×年、四月。
は桜を見上げていた。
人気の無い場所でひっそりと咲く、桜を。


「綺麗だな…」
「ほんまになぁ。こないに別嬪な桜、初めて見たわ」


独り言のつもりで呟いた言葉に、返事が返ってくるとは思わなかったは、後ろを振り返った。
そこにいたのは、テニス部レギュラー、忍足侑士。
校内でも一、二を争う知名度を持つ彼を、が知らないわけが無い。


「忍足、侑士だったよな………?」
「なんや、俺のこと知っとるんか?」
「ああ、忍足のことは有名だから」


僕みたいな一般人でも知ってる。
はそう付け足すと忍足から視線を逸らし、スケッチブックへと向けた。
そのまま、鉛筆を走らせる。


「絵、描いとったん?うまいなぁ」
「そうか………?でもやっぱり、本物には負ける」


忍足に褒められたは、ふわりと笑った。
同時に風が吹き、桜の花びらが舞う。
の笑みは、散らざるしかない桜の姿と酷似していて。
どこか、儚げだった。




そしてその瞬間、忍足は胸が高鳴ったのを自覚したのだった







これが、彼とのファーストコンタクト。






















「あれが恋やなんて、気づくんはそうかからんかったなぁ………は相変わらずのマイペースやったけど」


ちょうど一年前の自分を思い出して、忍足は笑う。
あれから何度も出会ったけれども、どんなに忍足が気のある素振りを見せてもは気づかなかった。
そういう素振りをすれば、女の子たちはすぐに忍足に落ちるのに。
そこも新鮮で、忍足はもっとを好きになっていた。


そして、忍足は次に『夏』と書かれたスケッチブックを手に取る。


それには先程の風景ばかりの絵とは違い、テニスをする忍足やテニス部レギュラーたちが描かれていた。
忍足と出会って話しているうちにの存在がまず、向日にばれ。
そこから芋づる式にばれていって、ついにはレギュラー全員に知れ渡ることになっていた。

『あの忍足侑士が惚れた相手』

として、は迎えられていたのだ。
元からの知り合いはいたようだがそうして、とテニス部の交流は始まり。
都大会や関東大会、そして全国大会まで来てくれた。
はその度に、鉛筆を走らせ彼らを書いた。
その絵を今、忍足は見ている。
動く人を描いたにしては、の絵は写真のように細かかった。
目を瞑ると、大会の最中必死で絵を描いていたの姿が目に浮かぶ。















「すまんなぁ、。俺ら、負けてもうた」


関東大会一回戦。
青学に敗れた氷帝レギュラーたちは、部室へと帰っていた。
そこには、の姿もある。


「謝らなくていいって、侑士。僕は、みんなが頑張ってる絵を描けただけで十分だ」


優しく笑みながら、は言う。
の膝の上には、満足げに眠るジローの姿があった。


「で、そんなことを言うんだから俺たちの絵はうまく描けたんだろうな?」
「勿論。あとは、家に帰って色をつけるだけ」


跡部の言葉にも答え、自信満々にスケッチブックを叩く。
そしてぺらりと、跡部の試合のページを巻くって見せてやった。


、色つけるだけっていってもその場じゃねーとできないんじゃねーの?」


色をつけるだけ、という宍戸の言葉は確かだ。
後からそうやすやすとつけられるものではない。


「ん、大丈夫。あんなに夢中で描いたの初めてだったし、今日中だったら色も完璧につけられる。
 ……………僕を舐めんなよ?」


悪戯っぽく笑うは、寝ているジローの髪を撫でる。
その光景に、忍足は少々嫉妬を覚えた。
いくら、従兄弟で幼馴染といってもべたべたしすぎではないだろうか。
同時に、そんな想いを抱いてしまう自分に内心、驚いていた。
忍足は一人、自分に苦笑する。


「それより皆、お疲れ様」


は、レギュラーたちの疲れを癒すような笑顔を最後に見せた







その笑顔は全国大会でも見れ。


忍足が勝ったときには温かく迎えてくれたし、負けてしまったときには柔らかな笑みで迎えてくれた。


テニス部最後の夏。


と、テニス部は一緒だったのだ。




















「忍足発見〜」


『夏』のスケッチブックをちょうど閉じた頃に、不意に声がかけられた。
見上げるとそこにはジローの姿がある。
同じ氷帝学園高等部の制服に身を包んだ、ジローの。


「ジローかいな………」


忍足はそそくさと横に座るジローを見る。
その腕には、一つのスケッチブックがあった。


「ジロー、それ……」
「ああ、これ?の部屋から出てきたんだって。多分、これは忍足が持っとくべき。だからこれ、持ってきたんだよ」


そういうと、ジローはスケッチブックを忍足に差し出した。
忍足はそれを受け取るが、開こうとはしなかった。


「あれ、見ないの?」
「まだ、『秋』も『冬』も見とらんのや」
「なら、おれも見る」


まだ見てないんだC〜、とジローは笑って言う。
忍足もそんなジローを邪険にするつもりはないのか、気にせず『秋』のスケッチブックを開いた。
『秋』には、レギュラーたちの日常生活の様子が描かれていた。
授業中に密かに描いたと思われる絵や、文化祭で喫茶店をやったときの絵。
どれも皆、楽しそうだ。
それをジローと忍足は、眺めていた。
既に過去の出来事である、それ。
まだ一年も経っていないがそれは、酷く懐かしく感じた。


あんなに楽しいのは、もう二度とないから。

そう、思うのだろう。


次に、忍足は『冬』のスケッチブックを開いた。
それは先程の学校での絵とは違い、すべて同じ視点で描かれていた。
時折、レギュラーたちの絵も入っているがそれが圧倒的に多い。
その絵からは、描いた人物…の感情が痛いほど伝わってきた。


「…………、寂しかっただろうね……」


『秋』の絵までの楽しそうな表情は、ジローから消えていた。
ただ、悲しそうな顔をしてそれを眺めている。


「ジローは、の病気のこと、知っとったんやろ…………?」
「うん…………も分かってたけど……………………いや、分かってたからかな」


単調な絵ばかりの『冬』をしまうと、今度は題名も記されていないものを手に取った。
一ページを捲って、目に入ったのはが鉛筆で書いたと思われる言葉。




『氷帝学園中等部男子硬式テニス部レギュラーのみんなへ』




二人は無言で次のページを捲る。
そこにはレギュラー一人一人の姿が描かれ、それぞれからのメッセージが記されていた。
だがそこに、忍足の絵はない。
ただ最後にこう書いてあっただけだ。




『一年には満たなかったけど、楽しかった。また、高等部で!!』




これから先の自分の未来を知らず、書いたと思われる言葉。
その言葉には、期待が篭っていた。
また皆で笑えるようにとそういう願いが。



「……………………………………忍足」

「なんや」

「これ、持ってっていい…………?」

「……ええよ。持ってき」



が、レギュラーたちに向けた言葉だ。
伝えなくてはならない。
このスケッチブックはのものなのだから。
主の意思の通りにすべきであろう。


「他のスケッチブックも持ってってええから」
「でもさ…」


他のスケッチブックも渡されたジローは、戸惑った。
それは忍足に託されたものなのだ。


「ええって。俺にはこれがあるさかい」


そう言って忍足は先程ジローに渡されたスケッチブックの一ページ目を捲って見せた。




『侑士へ』




そこにはそう書かれている。


「そっか。分かった。じゃあおれ、これをみんなに見せてくるね」


ジローはそう言うと、桜の花びらが舞う中、高等部へ帰って行った。
ただそこに一人残された忍足は、そのままページを捲る。


『キミと初めて逢った場所。キミは覚えてる?』


そんな言葉と共に描かれているのは、今、この場所。
忍足は彼がこの場所をいたく気に入っていたことを思い出す。
そう、確か彼と逢ったのが最後だった前日にもこう言っていた――――



















「………侑士」
「なんや?」


林檎を剥いていた忍足は、に呼ばれて顔を上げた。
は、窓の向こうを見ている。


「桜が見たい」
「桜?」


季節外れなことを言い始めた、
思わず忍足は聞き返してしまった。
なにしろ、今の季節は冬。
狂い咲きでもしなければ、桜は見えない。


「そう、桜。侑士と初めて逢ったあの桜が見たいんだ」


は未だに、窓から目を離さない。
まるで、窓から遠く離れた学校を見ているかのようだ。


「じゃあ、高等部入学して見に行こか。ちょうど、俺たちが出逢って一年になるんで?」
「あー…もうそんなになるのか。それなら、もうすぐ卒業式だな」
「そうやな。それまでに、病気治しぃ」


笑っての頭を撫でる忍足に、からも笑みがこぼれた。
何日かぶりに忍足が見た、綺麗で透明感のある笑顔。


「約束だぞ?」


そう言って、が細くなった小指を差し出す。
子供じみたそれに、忍足は乗ってやり。


二人は小指を絡ませた。






――――――――――――守られることのない約束だとは、そのとき思わなかったから。





















「なんであんなに早う逝ってもうたん?俺と、桜を見るんやなかったんか…?
 それに俺、まだ大事なこと伝えとらんで………………」


忍足は切なげに呟きながら、ページを捲っていく。


試合をしている忍足。
笑っている忍足。
ふざけている忍足。
居眠りをしている忍足。
困ったような顔をしている忍足。


様々な表情をした自分が、鮮やかに描かれている。
そして、その絵一つ絵一つにからの言葉が書かれていた。
それを複雑な想いで見ながら、忍足は最後のページを捲った。
忍足は驚愕に目を見開く。


そこに描かれていたのは、と忍足。
場所は、今、この場所。
そして、書かれていた言葉は。





『侑士、大好き』





という一言だった。



「……………、」




「…………………ははっ。先に言われてもうたわ。先に、俺が言おうと思うとったのに……」



反則や、と忍足は苦笑しながら呟く。
同時に、ぽたっと涙がスケッチブックに落ちた。
自分が流した涙を見て、忍足は驚いた。



「なんでや……………が死んだときも、葬式んときも泣けへんかったのに……」



何で今、俺は泣いてるんや?


その言葉は最後まで言えなかった。
涙は、これまで溜めていたものを流すかのように止め処なく溢れて。
嗚咽が、忍足から漏れた。。



「こないなことになる前に…伝えとけばよかった…っ」



だが、忍足が伝えたいことを伝える相手はもう、いない。
彼は、は、高等部入学を待たずして、忍足との約束を果たさずして、逝ってしまった。


あんなに一緒にいたのに。


伝える機会は幾つでもあったのに。


こうなる前に、伝えておけばよかった。


つまらない見栄を張らないで、彼に伝えればよかった。






「好きや、…………愛しとるで…っ!」






スケッチブックを抱きしめて、そう言った忍足の言葉は。

もう、彼には伝わらない。






















ねぇ、侑士。


僕は本当は知ってたんだ。


キミの、僕に対する想い。


黙っててごめん。


本当は僕も、自分から伝えたかった。


キミを抱きしめて、言いたかった。


でも、無理なんだ。


侑士に逢った後、分かりたくも無いけど分かってしまった。


約束は守れないって。


だからその後は、ただ必死に絵を描いた。


僕が生きた証を、残したかったから。


最後のページ、見た?


あれ、僕が初めて描いた想像画なんだぞ。



あの場所で、一緒にいる僕たち。



あの通りになったら、よかったのになぁ………。



ごめん、侑士。


侑士のことだから、ジローに貰ったスケッチブックを持ってあの桜の木の下にいるはずだよな。


約束、守れなかった。


僕が言い出したことなのに、守れなかった…。


侑士は優しいから、泣いてるんじゃないかな。


自分のこと、悔やんでいるんじゃないかな。


でも、そのときは前を向いて歩け。


キミには、未来があるんだ。


つらいなら、僕のこと忘れてもいい。


いつかは、忘れ去られる運命なんだから…………そのときが来たと思えば僕は平気だ。




だから、さ。












僕のために、泣かないで……