一護の様子がおかしい。
がそれに気づいたのは、六月第二週目の月曜日だった。
見た目はいつも通り。
だが、その“内”はざわついている気がしていた。
それは、日が経つに連れて、表にも現れる。
いつもよりかなり真面目な一護。
普通、この辺りで勉強に飽きた一護がに話しかけてくるのだが、ここ二、三日はそういったことをしなかった。
……心、ここに在らず、か。
頬杖をつきながら、はじっと一護を見た。
普段なら、「こっちばっかり見んな」と軽口を叩く一護。
その彼が、のあからさまな視線に気づかず、時折外を見ている。
その時のには、まだ理由は分からなかった。
分かったのは、それから数日後。
六月十七日のことだ。
「お墓、参り?でも俺、他人だけど」
「いーの、いーの。さん、お兄ちゃんのために頑張ってくれてるんだもん。ね、夏梨ちゃん!」
「ま、いいんじゃない?一兄の勉強の成果、報告してあげてよ。
それにあのバカ親父止めるの、あたしたちだけじゃちょっと無理だし」
そう言って、夏梨は一護を相手にしてからかっている一心を指差す。
息子に返り討ちにされてもめげずに、またかかっていく一心。
はそれを見て、微笑ましく思ったのか、くすりと笑った。
「それに、さんにはお兄ちゃんのこと見ててほしいんだ」
「一護を?」
「そ。あたしたちじゃ駄目なんだ。こういうの頼めるの、兄だけだしさ」
一護の様子の変化は明日に関係しているのだと、は二人の言葉から察した。
彼女らなりに心配しているのだろう。
だが、自分たちでは無理なことであるから、に頼もうとしている。
優しい子たちだ、とは思った。
兄を気遣う妹。
兄妹というのはこういう感じなのだろうかと思わずにはいられなかった。
しかし、は一人っ子であるから分からないことなのだけれども。
真摯な二人に打たれて、はこくりと頷いた。
そして迎える、当日。
見事な快晴の中、黒崎家とは墓地へと続く坂を上っていた。
「結構、きついね……」
「そうか?俺は慣れてるけど」
少々息が上がっているに対して、一護はひょいひょいっと軽々上っていく。
は、年齢の差というものを見せつけられた気がした。
「体力ないんだな、って」
「そういうわけじゃないんだよ。ただ、暑いのは苦手なだけで」
だから夏バテなんてしょっちゅうなんだ、とは言う。
一護はそれにふーんと相槌を返すだけだったが、何を思ったのかの手を掴んだ。
そして手を繋いだまま、ぐいぐいとを引っ張っていく。
「一護?」
「…向こうは涼しいから早く行こうぜ」
引っ張られて走るのも悪くない。
風が心地よい。
そう感じるのは、前に自分を引っ張る一護がいるからだろうか。
「青春してるねぇ」
そう呟いたのは、一心であったか、夏梨だったか。
「毎年恒例『ドキッ!黒崎家だらけの墓石ドミノ大会』を始めます!今日はゲストに、くんを迎え………げふっ!」
「馬鹿なことをやってんじゃねーよッ!」
墓石ドミノなる罰当たりな遊びをしようとした一心に、一護の蹴りが入る。
そうして二人はここが墓地だというのにまたいつものようになる。
「どこへ行っても変わらないね、あの人たちは」
「あはははは………」
の言葉に遊子は苦笑いをするしかない。
そのうち夏梨も一心により参加するはめになり、墓地はその場所に似合わず、一層賑やかになった。
外野であると遊子はそんな三人を遠巻きに見ていた。
不意に。
が空を見上げる。
そして空模様を見て、顔を顰めた。
「さん?」
「もうすぐ、一雨来そうだよ。早く、どこか雨宿りできる場所を探さないと」
の言葉に、遊子は大変!と三人の方へ駆けていく。
そうするうちに、雨はぽつぽつと降り始めた。
たちは、近くにある御堂に避難することになるのだが………。
「一兄がいないよ」
「あ、本当だ。お兄ちゃんがいない」
御堂に入ってすぐ、妹二人が一護がいないことに気づいた。
途中まで付いて来ていたのをは覚えている。
ならば途中ではぐれたのか。
否、そんなことはないだろう。
ここの墓地は道がはっきりしている。
山道もあるが、そんなに道は複雑ではないはずだ。
「俺、探して来ます」
傘を持たず、は御堂を飛び出した。
が、御堂の屋根の下から一心が声を掛ける。
「くん」
「一心さん?」
「一護は、まだ墓地にいる」
「え?」
いつもと違う一心に、は戸惑う。
一心はそのまま、言葉を続けた。
「あいつはまだ気にしてやがる。本当は俺らがどうにかするべきなんだろうが………。
あいつを、一護を頼むよ、くん」
と、息子をに託す一心。
その言葉に込められたものを理解し、は微笑んで、はいと告げた。
御堂に背を向け、ぬかるんだ山道を滑らないように慎重に、駆け下りていく。
そうして、辿り着いた先に。
一護はいた。
見つめるその先にあるのは、一護や夏梨、遊子の母親である真咲の墓。
はゆっくりと一護に近づいた。
「一護」
背後から声を掛けると、一護がゆっくりと振り向いた。
その表情は、どこかいつもと違う。
「帰ろう。ここにいると風邪引く」
「……分かってる」
「それに、酷い顔だ」
の言葉に、一護は今まで見ようとしなかったの顔を見た。
酷い顔、という意味が分かっていないような表情で。
「何かを酷く後悔してる、そんな顔だ」
後悔しているのは、真咲さんのこと?と優しく問いかけると、一護が睨みつけてきた。
それに臆さず、は一護を見据える。
「に……何が分かるっ!」
「何も分からないさ。俺は一護じゃないし、何も聞いていない。でもその顔はいただけないね」
そう言って、はびしっと一護の眉間に指を突きつける。
「後悔するのをやめろとは言わない。でも、泣いていいんだよ。誰もそれを責めやしないから」
「は………?」
一護は何を言われたのか分からないのだろう。
何を言ってるんだ、という目でを見た。
「俺は泣かない。泣こうとも思わない。何言ってるんだよ?」
「嘘だね。一護は後悔をしてる顔をしてるけど、それと一緒に泣きそうな顔をしてる」
それが一番、顔を酷くしてる。
はそう言った。
そして、雨の中、一護をぎゅっと抱きしめた。
まだより少しだけ小さい一護は、ちょうど肩に顎が乗るような格好になる。
いきなりのことに、一護は混乱した。
「泣いていいよ。誰も、見てないから」
思いがけない、の言葉。
思わず、一護の思考はしばし停止した。
だが、頭は理解しなくても身体は動く。
一護の頬を、ツー…っと伝うものがあった。
降り続ける雨でない、温かいものが。
それが『涙』と理解するまで、時間はかからなかった。
あの日と同じ雨は冷たいのに、涙が流れる部分は、に抱きしめられている部分は温かい。
涙は雨に紛れて、分からない。
だからだろう。
一護は溜まっていたものを吐き出すように、涙し、今まで思っていたことを言葉にした。
中一にもなって泣くのはおかしいと思ったけれども、止められなかった。
その間、はずっと抱きしめて一護の話を聞いていた。
雨はもう、いつの間にか止んでいた。
話し終わり、涙も止まった一護とは並んで、御堂へと向かう。
歩きながら、一護は横を歩くを見やった。
雨に濡れ、艶の増した黒髪。
光加減によっては、銀色にも見えないことはない、灰色の瞳。
やけに艶っぽいに、一護はどきりとした。
意識したとたん、心臓が早鐘を打つ。
な、なんだよこれ………っ!
一護がその感情に気づくことになるのは、まだ先のことだ。
恋焦がれるってこういうこと?
(まだ、分からないけど。きっとそうだ)